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最高裁判所第二小法廷 昭和43年(あ)2371号 判決

主文

本件各上告を棄却する。

理由

一弁護人原口酉男の上告趣意第一点について。

昭和四〇年法律第三四号による改正前の法人税法四八条一項および五一条一項によれば、本件において、被告人五百木喜久夫は、犯罪の行為者として、同九州商事株式会社は、同五百木を代表者に選任している事業主として、それぞれ別個の刑事責任を負うものと解すべきであり、原判決もまた、この趣旨において、両被告人を有罪と認めて刑を科した第一審判決を是認したものであることが明らかである。しからば、両被告人に対しそれぞれ刑が科せられるのは一個の行為に対して二重に刑罰が科せられるものであるとの論を前提として、憲法三九条違反を主張する所論は、前提を欠き、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

二同第二点について。

同一の租税逋脱行為について重加算税のほかに刑罰を科しても憲法三九条に違反するものでないことは、当裁判所大法廷判決の趣旨とするところであり(昭和三三年四月三〇日大法廷判決、民集一二巻六号九三八頁参照。なお、昭和三六年七月六日第一小法廷判決、刑集一五巻七号一〇五四頁参照。)、これを変更すべきものとは認めないから、所論は、採ることができない。

三同第三点について。

所論は、憲法三一条違反の主張であつて、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない(前記改正前の法人税法四八条一項の逋脱罪は、納期の経過により既遂となり、その後に修正申告をして不足の税額を納付しても、逋脱罪の成立には影響がないものと解すべきであつて〔前記昭和三六年七月六日当裁判所第一小法廷判決参照。〕、これと同趣旨の原判断は正当である。)。

よつて、刑訴法四〇八条により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。(草鹿浅之介 城戸芳彦 色川幸太郎 村上朝一)

弁護人の上告趣意

第一点 原判決が法人並に五百木個人の双方に科刑したのは憲法第三九条の所謂一事不再理の規定に違反するものである。けだし、

本件における所謂「両罰規定」(旧法人税法第五一条第一項)の適用は憲法違反である。けだし、本件における五百木被告人の行為は被告人たる九州商事株式会社のために為されたものであり、その効果としては総て会社のために生じているのである。(五百木個人は本件行為により何らの利益も得てはいない)。したがつて会社機関としての五百木の行為により効果帰属主体として会社が責任を負い刑罰を科せられるのは已むを得ない(即ち代表者の行為は会社自体の行為であるから)としても代表者個人が罰せられるのは不合理である。即ち、犯罪と目せられる行為は会社機関としての自然人たる五百木の行為一個であり、一個の行為に対して会社と五百木個人にそれぞれ刑罰が科せられるのは一個の犯罪に対して二重に刑罰が科せられる結果となり、刑事上の鉄則である「一事不再理」に反することになるからである。

実質的にみても、所謂租税犯は国家の徴税権を害するところにあり、本件の場合五百木の行為が徴税権を侵害したことは明かであり、そうであれば五百木個人のみを罰すれば足りるのである。会社からは五百木の行為により不当に得た利得を剥脱すればそれで充分である。而して、本件の場合会社からは既に重加算税等を附加して過少申告にともなう不足税額はこれを徴収しているのであるから、更に刑罰を以て会社に臨む必要はない訳である。

つまり、租税犯の場合、不正行為自体を重くみて行為者自身を罰するか、又は、不正行為による不当利得の点を重視して利益の帰属者たる会社を罰するか、どちらか一方に限定せらるべきである。にも不拘両者を共に処罰するということになれば前述の通り一個の行為に対して複数の刑罰を科することとなり一事不再理の原則に反することとなるのである。

第二点 原判決が、法人が重加算税を徴されているのにも不拘更に法人に罰金刑を科しているのはこれ又憲法第三九条の一事不再理の規定に違反するものである。けだし、

過少申告加算税(国税通則法第六五条)はともかくとして、重加算税(同法六八条)はその規定自体からして、刑罰法規と全く同様に「……事実の全部又は一部を隠ぺいし又は仮装し……」と犯罪構成要件と同一の規定を為し、それに該当するとき初て重加算税を徴収することを規定している。而して、その立法の目的が行政目的を達するための行政上の措置であるとしても、実質は、構成要件が充たされたときに一定の不利益を科することを規定する刑罰法規と寸分の変りもないのである。行政罰と刑事罰はその本質が違うと如何に理くつを並べてもその本質は不正行為を防止するため、又は、不正行為に対する応報制裁として国民に科せられる不利益に違いはないのである。したがつて、重加算税を徴しておきながら更に罰金その他の刑事罰を科することは一事不再理の原則を犯すものである。(この点につき昭三六、五、二―第三小法廷、昭三六、七、六―第一小法廷の最高裁判決があるけれどもその判決理由に承服できないので敢えて右の主張を為すものである)。

第三点 所謂税逋脱犯の成立の有無は修正申告制度が設けられている場合は修正申告を基として決せらるべきであるのにそれを為さずして科刑したのは結局のところ罪刑法定主義の規定たる憲法第三一条の規定に反し法律の手続に反して科刑したこととなり、原判決は憲法違反を犯している。けだし、

確定申告につき後日修正申告が為された場合は修正申告を中心にして逋脱の有無を決すべきである。けだし、

我国の税法は申告制度を採用し、国民を信頼する前提の上に構成されている。しかし、人には過失があり申告につき脱漏その他のまちがいがあることは当然である。斯る場合に国民の自発的意思に基きその補正方法を講じさせようとするのが修正申告のねらいである。(国税通則第一九条)

ところで国税通則法第六五条第三項は「調査の結果更正あるべきを予知しない(で修正申告が為された場合は過少申告加算税を徴収しない)」旨定めているけれども、これは行政罰を科さない、つまり行政罰不科の要件を定めているだけのことであつて修正申告の刑事法上の効果を定めたものではない。刑事法上はその立場に立つて独自に考えらるべきことである。而して、申告制度という大前提の下では修正申告というのは絶対不可欠のものであり、修正申告がなされた場合はその申告を基にして正否を論ずべきは当然である。そして、その修正申告が調査による更正決定を予知して為されようと否とに不拘その効果は一でなければならない。けだしそうでなければ調査の時期の早いか遅いかにより効果が異ることとなつて偶然性に左右されることとなり税制に対する国民の信がつなぎとめられなくなるからである。

よつて、修正申告があつた場合はそれが真実であるかぎり「税を免れた場合」にはならないのである。         以上

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